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本日のテーマ:「勝利目前の決断!第一次非協力運動と『ヒマラヤ級』の誤算」
アムリットサル虐殺事件を経て、ついに始まった第一次非協力運動。インド全土を熱狂が包み、イギリス統治が麻痺する中、なぜガンディーは勝利目前で運動を止めたのか?「チョーリ・チョーラー事件」が残した衝撃と、非暴力の真髄に迫ります。
👇今回の見出し👇
第一次非協力運動/アムリットサル虐殺事件の反動/ボイコット運動の熱狂/学校・法廷の麻痺/3万人のリーダー逮捕/イギリスの狡猾な戦略/ガンディーを逮捕しない理由/民衆のコントローラーとしての期待/独立への期待感/チョーリ・チョーラー事件/22人の警官焼死/暴力に汚れた勝利はいらない/ヒマラヤ山脈のような巨大な誤算/運動の全面中止宣言/ガンディー5日間の断食/獄中リーダーたちの激怒/民衆の熱狂の沈静化/ガンディー逮捕と禁錮6年/扇動罪での判決/宗教対立の再燃
👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇
①イギリスのガンディー野放し戦略
イギリスは、ガンディーを逮捕すると民衆が手が付けられないほど暴徒化することを恐れ、あえて彼を自由にしておくことで非暴力の枠内に民衆を留めようとする高度な心理戦を仕掛けていました。
② チョーリ・チョーラー事件の衝撃
1922年、暴徒化した農民が警察署を襲撃し、警官22名を殺害。この事件を受け、ガンディーは非暴力が徹底されていない運動は真理ではないとして、独立目前というタイミングにも関わらず運動の即時中止という苦渋の決断を下しました。
③ 巨大な誤算と運動の終焉
自らの指導力不足をヒマラヤ山脈のような巨大な誤算と厳しく批判したガンディー。しかし、運動の中止により民衆の熱が冷めた隙を突かれ、イギリスに逮捕されます。禁錮6年の判決を受け、インドの団結も徐々に揺らぎ始める苦難の時代へと突入します。
■ 関連年表
1920年: 第一次非協力運動が本格的にスタート
1921年: 運動が激化し、全インドで約3万人が逮捕される
1922年2月: チョーリ・チョーラー事件が発生
1922年2月: ガンディーが運動の全面中止を宣言し、断食に入る
1922年3月: ガンディーが逮捕され、禁錮6年の判決を受ける
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